詩季織々

失われた時を求めて みてきてしまった。 こういうことをしてたわけです pic.twitter.com/Mp87tqL7qX — 何者にもなれない (@515hikaru) 2018年8月12日 それはきっと繊細で、美しくて、いい

海を駆ける

海を駆けてきた。

このところ、アナログとデジタルについて考えることが多くてついアナログとここでも書いてしまったが、ただの映画の感想である。我々は得体の知れないものにであったとき、まだ見ぬ「危機」とも人類の希望ともとれる存在に出会ったとき、あるいはどうしようもない不条理をこさえる存在に出くわしたとき。そうした存在を排斥したり恐れたり、礼賛したり無条件に受け入れたりしがちだ。こうしたゼロとイチの決断・行動はデジタル信号であり、極端だ。本来、こうした状況での最適解はゼロとイチの間にある、ぱっと反応しただけでは見つけられない微妙な位置にある。多くのものは本来アナログで、何かがはっきりと決まっているなんてことはほとんどない。

そんなことを、この映画を見ながらも考えていた。

アナログ -- 不思議で不器用な恋

自分はアナログな人間だと思う。

職業はプログラマなので、パソコンとかできるんだからデジタル人間なんでしょ(この表現には多分に語弊を含んでいるがあえてこうしている)などと言われること、あるいは思われていることもあるだろう。

だけど僕は0と1で決まることを好んでいるわけではないし(これをデジタルという)、どちらかというとアナログな、グラデーションかかった曖昧な世界というのを受け入れていると思う。

人が持つ価値観にせよ感覚にせよ感情にせよ、定量的に測れるようなものなんてほとんどないのではなないかと思う。例えば人は痛みを感じるし、強い痛い、弱い痛みを感じることができる。でもその人の感じた痛みを第三者に定量的に提示することは不可能だし、それは身体的な傷でも、精神的な傷でもそうだ。そしてそれは人への想いの強さ、恋患いにも当てはまる。

でも、アナログとデジタルの本義に沿った議論が、きっとこの小説では無関係。この小説では、LINEにせよTwitterにせよ、いつでも会いたい人と連絡をとったり、急用ができたとか電車乗り遅れたとか連絡ができる。スマートフォンや、パソコンを使って。一般的にはこういうことをデジタルとかデジタル化社会とか呼ぶんだろう。言葉なんてそんなもんだ。

ただ言葉の意味は間違っていても、便利な時代になったという事実は揺るがない。「約束」をしやすい時代でもあり、「ドタキャン」がしやすい時代になったとも言える。

そんな時代に、例えば。「木曜日に喫茶店で待ち合わせ。来られなかったら、その日は来られないということ。」というデートの約束。

そんなの「アナログ」なデートのお話。