寝ても覚めても

映画を、観に行ったんだ。何ヶ月かぶりに。

といっても僕は昨年1 9 月にはカメラを止めるなを見たし、11 月にはエウレカセブン(ANEMONE)を見たし、ずっとやがて君になるというTVアニメも見ていた。何も書いていないけど、確かに見た。だから映像作品を見るのは全然久しぶりじゃない。

詩季織々

失われた時を求めて みてきてしまった。 こういうことをしてたわけです pic.twitter.com/Mp87tqL7qX — 何者にもなれない (@515hikaru) 2018年8月12日 それはきっと繊細で、美しくて、いい

海を駆ける

海を駆けてきた。

このところ、アナログとデジタルについて考えることが多くてついアナログとここでも書いてしまったが、ただの映画の感想である。我々は得体の知れないものにであったとき、まだ見ぬ「危機」とも人類の希望ともとれる存在に出会ったとき、あるいはどうしようもない不条理をこさえる存在に出くわしたとき。そうした存在を排斥したり恐れたり、礼賛したり無条件に受け入れたりしがちだ。こうしたゼロとイチの決断・行動はデジタル信号であり、極端だ。本来、こうした状況での最適解はゼロとイチの間にある、ぱっと反応しただけでは見つけられない微妙な位置にある。多くのものは本来アナログで、何かがはっきりと決まっているなんてことはほとんどない。

そんなことを、この映画を見ながらも考えていた。