福音の少年

あまり同じ本を何度も読む習慣はないのだけれど、例外的な本がある。それがこの『福音の少年』だ。

中学生の頃だっただろうか、初めて読んだときに何を感じたのかもはや覚えていない。ただ年に1度くらいは読み直している気がする。実家にあるのだが、読みたくなってKindleで買った(深夜だったし)。

この小説の魅力を問われても正直いえない。僕がなぜ何度も読んでいるのかわからない。ただ、その執拗で直接的な描写も、高校生の割には危険すぎるその言葉も事件も、最後まで釈然としないそのラストも、何から何まで、良いと思うのだ。

少年というものに対する著者の愛情のようなものを感じる。

会話がとても面白い、いや、正直素直に楽しめる会話ではないので少し語弊があると思う。読んでいて疲れるといってもいい。そんな会話をページを繰っても繰っても続け、最後までやめない。

そんなふたりの関係性はとてもアンバランスで、繊細で、目が離せなくなる。そして気が付いたら読み終えている。そんな小説だ。

いざなう手

もし、もしも、明日誰かが僕をこんなちっぽけな世界から連れ出してくれるんだとしたら。

そんな風に一日中妄想しても飽きなかった頃がある。中学生のとき、あるいは高校生の時。

さすがに大学生になったら、世界はちっぽけではなくて、この世界にはたくさんの人がいて、見えてないもの、見たくないもの、目を背けてはいけないものがたくさんある、ということがわかった。いやわかり続けている。理解させられ続けているのだけど。

でもそれまでも、そして今でもたまに考える。もしもこの日常から、この “世界” から僕を連れ去ってくれる人がいるんじゃないか、そしてその人についていけたら僕は何をしようかって。

そして実際に現れることもあるんだって最近知った。「君の日常を別の日常へ運んであげる」という仕事がこの世にあるのだと最近知った。僕もまだまだ世間知らずらしい。

ここで生きるのだと決めるために

人がある場所で生きていくということは、善悪の観念に支えられているわけでもなければ、その場所が気に入っているわけでもなんでもなくて、ほとんどの場合他人との関係性の話だと思う。

ここに留まると決めた、決めさせるだけの人間関係があった。そうやって胸を張っていえばいいだろうと思う。

だけど僕はここから出ていくと決めた。僕には守りたいだけの関係性などなかったから。

主人公の明帆は、ここに留まると、世界を維持すると決意したわけだけど、僕はやっぱり自分や周りとの関係性が希薄で「出ていこうよ」と誘われると出て行ってしまいたくなる。

そんな僕にも、この世界に残ると決めた、この日常を守ると決めた、そんな日常がやってくることがあるのだろうか。

この21世紀にそんなものは幻想だと言ってきたけど、結局は自分の意志が弱いだけなんじゃないかという気もする。僕は永見のような直接的な強さも、柏木のような狡猾な強さも持ち合わせていないから。

だからもう少しだけ、悩ませてほしい、弱い僕を僕に許してほしい。僕はもう少年でもないのに、そんな風に思っている。