アトミック・ブロンド
まえおき
「くさい」
彼女は席に戻るなりそういった。
「あんた、いつもそれ飲んでいるけどなんで?」
なんでかなぁ、改めて聞かれると正直よくわからない。なぜ僕はいつもこの酒を飲むのだろう。と内心思いつつも、
「そりゃ、まぁ好きだから」
と返す。本心と異なる無難な回答をするということを少しずつ覚えて始めている。もちろん彼女がこの話題を続けたいわけではなく、彼女は彼女で好きなものをバーテンさんに頼む。
「ウォッカをロックで」
かしこまりました、と答えてバーテンさんは去って行く。
ウォッカなんて珍しいね、と僕が言うと彼女は答えた。
「あなたもジャックダニエルを飲めばいいじゃない。私がロレーヌで、あなたがパーセバル」
それは一理あるかもしれない、だけど、
「パーセバルのまねをするなら家で片手でジャックダニエルを注ぎたい」
というと、彼女はさっぱりわからないことを表すために両の掌を天井に向けた。
そう、映画の話。お酒も大事だが僕らはさっきまで見ていた映画、アトミック・ブロンドの話をしたくてこの店に入ったんだ。それに、あんなに作中で酒を飲まれたらこっちだって飲みたくなってしまう。
内容
あの最後どう思う? 彼女は直球で聞いてきた。
「正直、よくわかってない」
そういうと彼女は少し目を見開いて、
「驚いた。普段頼みもしないのにいろいろ御託を述べるあんたもわからないなんて言うんだね」
舞台設定もエンディングもまるでメタルギアソリッド3のようで、頭を捻らないとこちらが観客はけむに巻かれて終わる。特に後半の一気におきた展開はひとつひとつを咀嚼するのに精一杯で、難しかったように思う。
「でも、ラストを知ったからこそ腑に落ちないんだよ」
「どのへんが?」
「後半のパーセバルの行動が特に不可解だった。特に “あの人” を殺す理由がさっぱりわからない」
僕は思っていることを正直に述べる。とにかく、パーセバルの言動が僕は理解できていない。
「たしかに、あのラストを知った後で考えると不可解ね。」
「まぁわからないことについて書いても仕方がない。僕はシャーリーズ・セロンが綺麗だったから満足だよ」
「結局そこに行き着くのね本当に男ってのは・・・」
彼女がウォッカを飲みながら悪態をついた。僕は男が、は主語がでかすぎると反論したが、ウォッカを楽しむことに夢中で聞こえてなさそうだった。
アクション
「アクションについてはコメントしないの」
「酒を飲んでタバコを吸っている合間に人を殴る映画だったな、という感じ」
もう少し表現があるでしょと彼女は言う。自分でもそう思う。
「あんなに動けて体をボロボロにできる女優なんて世界中探してもほんと一握りよね」
「マッドマックス 怒りのデスロードの時もすごかったしなぁ」
脚本が難しくて忘れていたけど、この映画はアクション映画で、特に後半の長いワンカットのアクションシーンは圧巻だった。
「車の中で暴れ出したときはハラハラした。まだ全然序盤だったのに」
「今作だけで車を何台ダメにしたんだろうな」
舞台
「ベルリンの壁崩壊前後を舞台にしたってのは、面白かったね」
僕は言う。諜報活動といえばソ連とアメリカ、KGBとCIAの静かな戦いだ。
「そういえば、『善き人のためのソナタ』とか好きだったわね」
スパイの話じゃないけど、と言った後で彼女はまたウォッカをあおった。僕もつられてウイスキーを飲もうとしたが、いつのまにか空になっていた。
「次はジャックダニエルね」
彼女は言った。この人は酒が回ると僕にいろんなことを強要するようになる。この状態でこの言い方をされた時、僕は断るすべを知らない。もし知っている人がいたら教えて欲しい。
「東と西の対比もあって面白かったな。ウォッカとバーボン、赤と青」
「戦争はしていないからこそ描けるもの、面白いものもあるというのがあなたの持論よね」
「戦争を描くというのはそれはそれでいい。今年ダンケルクがあったし、ああいうのはすごく好き。でも戦争ではなく冷戦、騙し騙される頭脳戦と格闘との両方に長けていないといけない話は本当に面白い。これはメタルギアのせいかも」
終わりに
ジャックダニエルを注文した後、僕らは映画の好きな部分について話した。
車から人を突き落とすシーン、氷水の中に浸かるローレン、終盤に急に小物化するパーセバル。
彼女もまたウォッカのロックをおかわりした。作中でもちょうど2杯飲むからだという。
「また見たいね」
そういって、今日のバーでの話は解散になった。
僕と彼女は今以上に近づくことはない。だけど、同じ映画をみて楽しんで、楽しい時間を共有できること。それもひとつの幸せなんじゃないかと思う。
彼女はタクシーに乗っていった。僕は今から終電に揺られて帰る。
赤いドレスを着たシャーリーズ・セロンを思い出して、一人考える。なぜ、彼女は *赤いドレスを最後に着たのだろうか*。
やっぱり、わからない。僕は考えるのをやめてガラガラの電車に乗り込んだ。