ダンケルク -- 戦争を体感する一作
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ダンケルク(Dunkirk)を見てきたので書く。見たのは先週 9⁄18(月) である。
第二次世界大戦
戦争を題材にした映画はこの世にたくさんあり、そして「まだ第二次世界大戦を描くのか」という気分になるほど第二次世界大戦を舞台にした映画は多数存在する。
戦争映画は「感動の実話」として、あるいは「英雄の物語」として消費されていく。
現代では戦争は変わってしまった。かつて「帝国主義」と呼ばれていた時代とはまるで違う。戦争に一般人を巻き込めば自国民から批判され、一般人のいる場所に空襲することさえ(まともな国家であれば)難しい。また少数精鋭化も進み、闇雲に人員を調達・増強して戦っていた、一般人たる我々が思い描く「戦争」は70年前を機に姿を消した。
だからこそ、第二次世界大戦は映画として 映える 最後の戦争なのだと思う。また、(まだ)世界共通の記憶として。実際に起きた「奇跡」として語り継がれていく。
この映画は戦争の悲惨さを語るものでも、英雄による作戦の成功を描くものでも、感動の物語を描くわけでもない。
なぜか、それはきっとこの映画を見た人ならわかっているだろう。「戦争」それ自体が十分にドラマティックだからだ。
どんな映画か
かんたんに言えば、『プライベート・ライアン』の最初の30分が3回繰り返され、残り時間は『英国王のスピーチ』のスピーチシーンで終わる映画である。
主に3つの場面が、時系列が混ざりながら進んでいく。近衛兵に紛れて早く脱出しようとする兵士、ダンケルクまで兵士の救出に向かう一般の漁船、ドイツ軍の空爆を阻止する戦闘機(3機)。
それぞれがそれぞれに、目の前の現実1に立ち向かう。
我々の世代が若い人たちを戦争巻き込んでしまった
と言って危険なダンケルクへと兵士の救出のために赴く船長がいる。
ただ祖国に帰りたい一心で時に狡猾に、時に一心不乱に努力をする陸軍兵士がいる。
燃料が尽きるまで味方兵士を救うために尽力する戦闘機のパイロットがいる。
それぞれが、それぞれに「ダンケルク」に関わり、「奇跡」を信じ行動する。そこには「人間ドラマ」などない。ただただ、目の前で「戦争」が繰り広げられ、刻一刻と状況(戦況)は変わる。
感想
轟音
臨場感という言葉はこの映画のためにあるのかと思うレベルの「臨場感」だ。この映画は「音」がなければひどくつまらないものになってしまうだろう。まるで戦争の「現場」にいるかのような錯覚を与えてくれる。銃の音、波の音、プロペラの音、爆撃の音。それらが僕らの鼓膜に突き刺ささって、観客を戦争の目撃者、奇跡の目撃者にさせてくれる。
結末
実話なのでネタバレもへったくれもないので書いてしまうが、奇跡は起きる。
しかし、上に書いた臨場感でもって、ダンケルクへと到達した英国漁船たちを見たときに兵士たちが叫ぶ “Hooooooooome!” であったり、脱出成功した兵士たちに毛布を手渡すおじいさんの言葉が身に沁みる。
「生き残っただけだ」
「それで十分だ」
奇跡が起きたという事実に感動するのではない。我々観客は奇跡を(疑似)体験できる。
総論
戦争物語にはうんざりしていた。『プライベート・ライアン』にまさるものに出会えなかったからだ。
戦争を舞台にしているのに、戦争を描いているのに、「戦争」に焦点が行っていない。ちっとも心に響かない。むしろ興ざめな作品ばかり見ていて、気がついたら戦争映画は避けるようになっていた。
この映画は「戦争」を描いただけだ。これはかんたんなことではないが、この映画ではやってくれた。忠実に戦争を描くことで生まれた作品が、感動作になる。これを見たかった、これを味わいたかった。
今まで見た戦争映画で、一番好きだ。文句無しで。
- そしてそれは「絶望」と言っていいレベルの非情な現実 [return]