人は、夢を見る。

将来の職を、名誉を、富を。希望に満ち溢れた人生を夢見る。

ある女は女優を夢見ていた。ある男はJazzの復興を夢見ていた。ふたりがたまたま出会った。この物語は、ただそれだけの物語だ。 そして、夢を見るあなたのため、夢を叶えたあなたのため、夢が叶わなかったあなたのためにこの物語は存在する。

夢を叶えるということ

多くの場合、夢を追う物語というのはシンプルだ。主人公やその周辺になんらかの障害がある。例えば金がないとか、人が集まらないとか、偏屈すぎて賛同者が居ないとか。その障害を克服するために様々な手段がとられたり、試行錯誤をしたりして夢を実現させ、ハッピーエンドで終わる。最後にはこれまでの葛藤などが報われ、笑顔の主人公たちがスクリーンに映し出される。これもまた娯楽としての映画としては一級品だ。

一方でこの物語は、満面の笑顔では終われない。この物語はさらに奥へと一歩進み、夢を叶えた「代償」を描いている。

一見すると、夢が叶った人というのは本当に幸せに見える。好きな人と結婚できた、就きたい職業につきバリバリ働いている。でも本当にそうだろうか。自分で選んだ道であったとしても、「本当にこれで良かったのだろうか」と自問することがない、と断言できるだろうか。

夢を見るということは、自分の歩む道をひとつ決めるということだ。夢が叶ったということは、自分がひとつの道を歩ききったということだ。それまでにいくつも分岐点があっただろう。隣の道のほうがよりよい到達地点にたどり着けると思えたこともあっただろう。考えられたありとあらゆる可能性を放棄し、ひとつの道を選択した。その他の道を選べば払わずに済んだ代償を支払い、夢を叶えた。

問う。

あなたの夢が叶ったとして、あなたは幸せだろうか。

トレード・オフ

夢を叶えることは、それなりの代償とトレード・オフの関係にあることをこの映画は教えてくれる。その夢が大きかろうか小さかろうが、あなたが選ばなかった道は代償としてのしかかってくる。彼らは時を経て “大人” になり、代償を支払った、お互いに。

だからきっと、お互い心の中で代償を支払わずに済んだ道を歩めたらどんなにかグレートなことだと思う。空想する。だが、振り返りはしても後ろに歩いたりはしない。

これからも夢を叶えた代償を支払い続ける代わりに、彼らには夢を叶え続ける義務がある。自分たちではない誰かに、夢を与え続ける義務がある。

まとめ

もしも夢を叶えたいなら、この映画はほんの少しの厳し良い現実を教えてくれる。もしも夢が叶った人なら、この映画の意味が分かるだろう。夢が叶わなかったあなたは、この映画をこう見るだろう。

「夢が叶わなかった苦しみは、夢が叶った苦しみと同じだ」

と。

わたしは2度だけ、本当に叶えたい夢を見た。どちらも叶わなかった。

ただ、わたしは夢が叶った代償の代わりに、夢が叶わないという代償を払った。それだけのことだったのだ。